なぜ欠陥住宅ができるのか
これから書くことはあくまでも一部です。と、言いたいところですがそうでもなさそうなのが残念です。これから住宅を、いや住宅に限らず建築物を建てようとなさる方に理解していただくと、欠陥建築物(住宅)を防ぐ意味でお役に立つのではないかと思います。また、住宅産業の本来あるべき仕組みや、答えのないなさまざまな問題点もわかっていただけるかと思います。
今後の予定
設計、見積無料 −−ただより高いものはない−−
おせっかいな法律 −−建築基準法−−
市場を無視した法律 −−都市計画法−−
欠陥住宅を無くすために −−本来あるべき姿−−
職人養成の限界
−−職人の社会的地位の凋落−−
どんな職種の職人でもその養成方法に大きな変わりはありません。歴史のあるものほどその共通性は多いものです。それは親方(師匠)−弟子の関係です。一人の親方に数人の弟子、毎年少しずつ一人前と見習が増えていくこの濃密なシステムは数百年にわたり延々と技術を養い、伝えてきたのでした。
そこには自らの技術に誇りを持ち、良い仕事をし、よき弟子を育てることに責任と喜びを感じる親方と、先人の仕事に対する敬服と自らの技術の未熟さとの差からくる向上心ある多くの職人がおり、またそれらを敬い支える多くの消費者(施主に限らず、多くの一般の人々)がいました。
しかし高度経済成長期に入り、マイホームブーム等でその市場が急激に拡大したとき求められる職人の数的増加に、このような旧来からの養成方法では到底対応できるはずもないのでした。そのため、なんの向上心もその職につく責任感も持ち合わせない、ただ日々の糧のため見様見真似で仕事をこなす、その様な素人が大勢参入してきたのです。
当然それら新規参入組みの建てた住宅は、確かな技術もないのですからいい加減で、でたらめなものが多く、それが近年の住宅産業に対するイメージの悪化や、職人の社会的地位の低下、良質な住宅のストック不足に繋がっているのです。
そして、その様な素人職人が数年後には親方になり工務店経営者になり建設業許可まで得て、社会的には専門家ととらえられるのです。また地位の低下した職人になろうとするものの多くは、向上心、向学心の弱い者が多く、これらが建設業者と職人の質の低下の悪循環になるのでした。当然というべきかこうなってくると、技術もない、モラルもない業界が出来上がるのです。これでは欠陥住宅が無くならないのもわかりますよね。
あらゆる国の歴史を見ても、近代化工業化と教育は対を成すものです。しかし、日本においては長年職人を育てることが旧来の師弟関係に頼ったままで、現在も変わっておりません。昭和24年「建設業法」、昭和25年「建築基準法」これらが制定されたとき職人の養成システムの近代化も行うべきだっのですが、今となっては遅すぎます。消費者の厳しい対応でこれら質の低下した工務店、大工には市場から退場してもらうほかないのですが、それにもそう期待感はもてないのです。
技術の断絶
−−伝統工法のまやかし−−
軸組(在来)工法は日本の風土に根付いた伝統的な工法で....。これは間違いです。間違いだというアナウンスも随分聞くのですが、未だにこういった誤った情報がなくならないのも事実です。軸組工法の特徴は、縦方向の材である柱と、横方向の材である梁(はり)からできる四角形に、その変形を止める斜めの材である筋かいを組み合わせた壁によって支えられるものです。この工法の歴史は比較的浅く、戦後登場したものだと考えてください。伝統的工法ではないのです。

さて、ある日突然いままでの工法はダメ、新しく出来た法律「建築基準法」に基づいた工法で建てなさいと言われたらどうでしょう、途方に暮れるかもしれませんね。中には必死に勉強した職人もいるでしょうし、今まで通りでいいと考えた方もいたでしょう。その混乱をなくすのに国、行政は果たして何かしたのでしょうか?現在欠陥住宅を無くすため行政側が中間検査で住宅建設の現場に赴くと、軸組工法に必要な筋かいが足りていなかったり、金物が使われていなかったりするそうです。
つまり、建築基準法が度々改正されているということを差し引いても、制定されて50年余り経つにもかかわらず、未だ職人には理解されていないということです。要するに職人たちには手抜き工事をしているのか、欠陥住宅を造っているのかさえ分からない状態と言う事です。あまりに急激な変化を人為的に起こしたのですからそのケアーもするべきなのに、法律だけ作って理解してもらう努力はしないなんて、なんとも中途半端な政策ですね。仮に理解する場を設けたとしても、質の低下した現在の職人に理解できるかはかなり怪しいのですが....。
「できるだけ安く。」は禁句
−−その気持ち、わからなくはないのですが...−−
先に述べたようにモラルの欠落した業界に無意味な価格競争を持ち込んだらどうなるか。結論は「手抜き工事をしても価格を下げる」です。すでに出来上がっているテレビを値切って安く買ったとしても品質に差はないのです。しかし住宅は値段を決めた上で造られるものですから、価格の低下は当然質の低下にも繋がるのです。
また、条件(敷地が狭い、道路が狭い、地盤が弱い、高台で風雨がきついなど)によっても価格に違いが出るのです。そういうものを無視して坪いくらで決めたり、中身もわからないのに安い額を提示してきた業者に工事を頼んだりでは、あまりにも品質と価格の関係に無頓着すぎます。低予算にしたいというのは理解できます。しかしその方法が「できるだけ安く。」ではいけないのだということを是非わかっていただきたいのです。
消費者側:「できるだけ安くしてください。」
業者側:「わかりました。」
この会話の本当の意味は、
消費者側:『あなたのところの利益を減らして、儲け過ぎないように。』
業者側:『予算がないからそれに合わせないといけないんだな。』
これではまったく会話が成立していません。
業者側:「予算どおり工事が出来ました。」
消費者側:「よかった、ありがとうございます。」
どちらも挨拶程度に何気なく言った言葉かもしれませんが、この時点では円満な関係です。これが後日問題が発生したときに、
消費者側:「何十年ものローンを組んで買った物なのに、なぜこんなひどい工事をするんだ。くやしい。」
業者側:「あの予算ではこれが精一杯だ。予算のない中で精一杯やったのに文句をいわれても....。」
多くの住宅問題の解決が困難なのはお互い悪意がない最初の会話、少なくともこの時点での良好な関係が裏切られたという気持ち、互いの本音の違い。根っこはここにあるのではないでしょうか。
ここで気になるのは「なぜこんな会話になるのか」です。消費者の一般的なイメージでは、住宅のような高価なものの値段には2〜3割もの利益が乗っているのでは?という思いがあるからではないでしょうか。ですから「できるだけ安く」は「あなたのところの利益を減らして」と言う意味なのでしょう。
また、価格の中身が不透明な点もこういう考えの原因になっているのかもしれません。相場というか適切な価格がわからないが、高すぎるのは嫌だということです。
そして業者側の「わかりました。」は、お客さんの要望はある程度聞いても予算オーバーして、支払が受けられないのでは困る。予算を合わせるのが最優先で、質の方は落とせるところは落とすか。(この質を落とすが、知識がないゆえの手抜きや欠陥を招いたり、確信犯としてそうする場合もあるのです。)
ではお互いのこの考えは事実なのでしょうか?業者には2、3割の利益があって、消費者は質を落としても値段を下げてほしいのでしょうか。答えはあたりまえの話ですが、「こういう場合もあれば、ない場合もある」です。
まず消費者側ですが、理解していただけないかもしれませんが質を落としても値段を下げてほしいという場合があります。これはもう欠陥住宅を防ぐという意味とは正反対の考えなのでこの文章からは省きます。
さらに、質を落としても、とまでは言いませんが、質を意識せず価格のみで施工業者を決める消費者は多くいます。まともな工事の値段か、手抜き工事の値段か区別をつけないのです。あるいは手抜き工事なんてしないだろうと高をくくっているのでしょうか。このような状況、数社から見積を取り寄せているような場合には本当に説明が難しいのです。競合他社を「手抜き工事をするつもりだ」とは言えないですから。手抜きとまでいかなくても質の違いと価格の違いを理解してもらうことは大変です。
次に業者側の「儲けすぎの場合があるか」について書いてみたいと思ういます。
まず、「あいまいな見積」というものが考えられます。普通は工事の契約の前に見積もりをするのですが、多くの場合見積の元になる図面が少なすぎるのです。配置図、平面図、立面図に仕上表程度、これでは正確な見積もりは出来ません。そこで工事金額が見積金額をオーバーしてはたまらないので、何割か乗せるということをして水増しした見積もりを出すことがあるのです。
誤解の無いように言っておきますが、この時点では水増しでも、工事完了後は予算一杯や、予算オーバーの場合もあります。予算オーバーしてもその分を請求しない、できない、しても支払ってもらえない。もちろん支払ってもらえる場合もありますが、どちらもいい気分ではありません。要するにどんぶり勘定になってしまうわけですね。そして予算通り工事が完了しても、水増しした金額を請求するのです。
しかし、これはまだマシな方で予算が少なすぎたり、無理な値引き交渉になって水増し出来ない場合はどうでしょう。この場合業者は質を落としても利益が出るかでないか、ひょっとすると赤字になます。消費者側は質の悪いものを買うことになり、業者は赤字。これでは誰も喜べない状況になりかねません。そして赤字なら「次の現場で儲けるか。」こんなことされては次の現場の建築主はたまりませんね。
また、もう一つのパターンとして支払をしない建築主というものがあります。これは消費者側に「値切れてあたりまえ」という感覚があるためです。建築工事では低額の範囲に入る数十万円単位の工事、普通の買い物でなら大金です。こういう工事で数千円から数万円まで支払ってもらえない場合が非常に多いのです。支払ってもらえないともちろん赤字。ですから値切りそうなお客さんの場合、値切られるのを見越して請求することになります。
さらに、数千万円の新築工事などでも「値切れてあたりまえ」という感覚が残っています。しかし考えても見てください。皆さんの働いている会社では何割もの利益を自社の製品に乗せているのですか?あるいは原価で販売しているのですか?そんなことはありえないはずです。
消費者といっても労働者であり経営者であったりするのですから物の値段がどういう風に決まっていくかはおわかりのはず。値切った人は良くても、値切ることが出来ない人は損をする。こんなことで良いのでしょうか。
ここまで読んでいかがですか?あきれ果てる、怒る、苦笑する、ですか。この章は長文になりましたが、それだけ根が深い問題でもあるのです。ここで分かるのは、互いの想像と勝手な思い込みとあやふやな条件から起こす利己的な態度ではないでしょうか。
「できるだけ安く」
この言葉にはかなりの問題点があり、さらに数々の問題を引き起こすということがわかっていただけたかと思います。
シックハウス
−−消費者が無意味な品質を求めた果てに−−
建物の素材というのは自然界に存在するものを加工して使うものです。木、紙、石、土。これらは自然界そのものの特色を持ち合わせているのです。二つとして同じ物はなく、色も形も微妙に違ったり、時間とともに色艶が変わったりするものなのです。
しかし、現在の消費者にはそういうことがわかっていないのです。床はあくまでも平らで、色艶のむらがなく、壁紙にはシミ一つあっても我慢できない。そういう人が増えているのです。あまりに神経質すぎませんか?自動車や家電製品のように密閉された工場でオートメーション化された製造工程を持つものと、風雨にさらされた現場で手作りされるものとに同じ品質を求められても困るのです。
このような消費者の現実を無視した要求にこたえるための素材、「新建材」がこうして生まれたのです。この新建材、素材の特色、特にひび割れ、ちぢみ、そりなどを無くすため天然の素材と接着剤など化学製品を用いて工場で加工、生産されるもので、一見すると消費者の要求に応えられるため、こぞって住宅の材料として用いられ、日々改良が加えられています。
しかし、近年それらに使われている化学物質が元で、住まい手の健康を損なうような事例が増えてきたのです。これは我々住宅を建てる者も、新建材の製造者も想像できなかったことなのです。
ここでちょっと考えてみましょう。なんだか似たような話があることにお気づきになりませんか?そうです、農産物です。曲がったキュウリは嫌、真っ白な大根、虫食いのない林檎、そういった食品を求めた結果、農薬浸け、化学肥料浸けの農産物だらけになってしまいました。そして残留農薬、化学物質の健康被害が取りざたされて、寄生虫の問題を無視して(?)有機栽培の農産物が見直されたりしたわけです。
さて、住宅に戻りましょう。どうでしょうどうしましょう?床板が少々反ったり、ドアの建て付けが時間の経過とともに悪くなって開け閉めに不便が出ても工業化されていない天然素材を用いて家を建てるべきでしょうか。それはまぁ極端にしても家族の健康には代えられません。ここでもう一度、住宅に求められる質というものについて考え直すべきではないでしょうか。
言い訳がましいのですが、この章は現在シックハウスで被害を受けている方々には、なんら建設的なことは言っていません。むしろ感情を害されるかもしれませんが、今後も似たような被害を防ぐ、あるいは発生させないためには、あえて書くべきかと考えました。今の社会は消費者の言うことに無批判で答えすぎ、結果被害をもたらしている。消費者に対する教育、啓蒙をもっと業界側が行うべき、そう考えています。
欠陥、手抜き?!?
−−鵜呑みにできないマスコミ情報−−
残念なことですが、人間の言うことより「テレビでやってた」ことの方を多くの方はお信じになる。そういう風潮があります。信頼関係が希薄だからと言われれば返す言葉もないのですが、かなり怪しい情報もあるにもかかわらず、盲信されているのが現状ではないでしょうか。また、見慣れぬ映像や言葉によって正しく理解できない場合も数多くあります。
阪神淡路大震災は建物を建てることを生業としている筆者には非常に複雑な感情をもたらしました。家族を失った悲しい話を聞くたびに胸を締め付けられる思いがすると同時に、なぜ家族の命を守るはずの建物に手間隙とお金をかけないのかという怒りと、未だにその教訓から学ばずに、耐震性の劣る建物を建てようとする同業者や、とにかく低価格にしようとする施主に対する胸糞の悪さが混ざり合うのです。
さて、その震災の映像の中にある、瓦が落ちた数々の住宅についてですが映像を見る限り被害が大きい事はわかります。他にはご覧になって皆さんはどう思われました?「瓦屋根はダメだ」「脆い家だな」でしょうか。
しかしそこには隠れた本当の意味があるのです。瓦が落ちてその下の木が丸見えになった「古い住宅」の場合(ほとんどが戦前のもの)、これは建てた当初の予想どおり地震で瓦が落ちた成功例なのです。
意外なとお思いかもしれませんが昔の職人は長年の経験から、地震力に抵抗するのではなく瓦を落として揺れのエネルギーを放出させ、なおかつ身軽にすることによって倒壊から免れるよう考えていたのです。この考えが現在の職人に受け継がれず、施主の求めに応じてか瓦を屋根に固定してしまい(台風で飛ばないように)、別の映像でよく見る「潰れた家の屋根(それも瓦が載ったまま)が足元の高さまで落ちてきている」場面を生じさせているのです。
現在の建築では瓦がずれるなんてとこはダメですから、その重量に耐えられるよう壁の強度を上げているのですが、古い家の瓦の葺き替えなどの時に瓦を固定して壁の補強をせずじまいの場合が多いのです。全てではありませんが古い家で瓦がずれ落ちている映像は、当初の予定通りということです。もちろん種々の原因で倒壊したものもあることを付け加えておきます。繰り返しますが現在ではこの考え方はダメです。
次に台湾大地震での映像で倒壊したビルの柱や梁に一斗缶(金属製の四角い缶)が使われていた映像についてです。これが放映されて手抜き工事だという報道がなされましたが、これは事実ではありません。あれは化粧用に使われていたものです。
どういうことかと言いますと、柱本体の見かけを変えるための張りぼての材料に過ぎない。言わば肩パッドのようなものです。(日本では発泡スチロールを詰めたりします。)このことは建築の専門誌などでは報じられたのですが、一般の方が目にするテレビニュース等では触れられていません。
柱に空き缶が入っていたりしているものもあり、実際建物が倒壊していますが、原因だとされ一番大きく取り上げられたあの金属の缶を繋ぎ合わせたものの映像については訂正されないまま視聴者の記憶に残り、台湾のイメージを悪くしたままです。
地震の映像のみならず、欠陥住宅を扱ったTV番組にも誤りはたくさんあります。それも訂正がないのですが、どこからも抗議がなかったのでしょうか?あるいは私が知らないだけ?
ある番組の内容について書いてみたいと思います。番組をご覧になっていない方には分かり辛いかもしれませんが、お許しを。
ユニットバスが浮いている
「浴室の床が揺れるんです。」
という訴えを聞き、床下からユニットバスの足元を写して
「ユニットバスに下から支える足がなく宙に浮いている」
文字で見れば???ですがそういう場面が写し出されたのです。これは間違いです。ユニットバスのメンテナンスを考えて、足ではなく金属製の受け材を土台から土台に渡し、その上に載せているだけです。
考えても見てください、ユニットバスは250kgほどあり、お湯を240リットルと大人が一人入れば優に500kgを超える、その様なものが宙に浮くなんてありえません。修飾過剰なだけで正しくない内容です。
床が揺れるのは事実で、過去にそういう製品もありました。床の造りに配慮が足りないためです。昔のタイル張りの浴室をご存知だと、気になる点ですが、床が抜け落ちたりはしませんのでご安心を。

木が乾燥して継ぎ足された梁(はり)
映像では柱から15cmほどのところで梁が継ぎ足されています。この原因が木の乾燥のためだと言うのです。
映像からははっきりしたことは分からないのですが、二つのことが考えられます。まず、普通に木を継いだだけの場合です。これは材木は4、5Mしかないため、どこかで繋ぐ必要があるということです。
もう一つ考えられるのは、明らかに寸法を間違えて加工してしまい、継ぎ足してしまった場合です。前者は問題ありませんが後者は手抜きです。しかしどちらにしても木の乾燥とは無関係です。

地面まで届かない床下の柱
地面まで届いていない床下の柱(正しくは床束(ゆかづか)といいます。)が映し出されています。これについて手抜きだという指摘なのですが、これは難しい。明らかにおかしな工事なのですが、床が揺れたり傾いたりしない限り問題ないのです。
4本足のテーブルに5本目の短い足がついていても、おかしいけれど手抜きとはいえない。住宅の瑕疵保証制度ができましたが、手抜き、欠陥、瑕疵の判別はきっと揉める事でしょう。それにしても変な工事でした。こんなことするぐらいなら普通の工事をしたほうがよほど楽だと思うのですが、不思議の一言です。
同じような映像はたびたび紹介されています。その中には本当にひどい手抜き工事の映像もあります。手抜き工事かそうでないか、しっかり分けてほしいものです。
火打ち梁がない
天井裏から建物の隅のほうを写し出し、「火打ち梁が入ってませんね。」
これも状況がはっきりしないのですが、床下地に構造用合板を使用する所定の工法を使えば火打ち梁は省略できます。このことを確認して手抜きだと言っているのか、はなはだ疑問です。
最近増えている木造3階建ての場合は床下地に構造用合板を使うことが前提になっていますので、火打ち梁がないほうが普通なのです。しかし、TVでこういう番組をされるとお施主さんから火打ちが無いと手抜きだと言われるので、必要も無い火打ち梁をわざわざ施工するという滑稽な事態になっています。

さて、その他にもビー玉が転がる床はよく紹介されますが、転がること自体は珍しいことではないのです。『問題は転がる程度による』ということです。床の傾斜の具合を調べ、その原因を突き止める。そしてその原因こそを問題にすべきです。
見た目にわかりやすいことを、センセーショナルに伝える。そういう癖のようなものをマスコミには感じます。
テレビの映像は非常に影響力が強いのですが、いつも正しい情報を視聴者に与えてはいないということを頭の隅においておくようにしましょう。当然正しい情報が大半ではあるのですが、一部には首を傾げたくなるようなものがあります。このことをわからずに、ただテレビで紹介されていたことと同じだから欠陥だと、感情的に訴えないことが大切です。まずは専門家にご相談を。
軸組(在来)工法は増改築、リフォームが簡単です。
−−誤ったイメージ−−
「2×4(ツーバイフォー)、プレハブの住宅に比べると軸組(在来)工法の住宅は増改築やリフォームが簡単にできます。」というのは誤りです。
この軸組工法に関するイメージはこれから建築を志す学生用の教科書上の話です。専門家にとっては比較的簡単にできるという意味で、一般の方には「難しいもの」と捉えてもらった方が良いでしょう。
これは、軸組工法という工法が壁によってできている工法だということが理解されず、柱さえあれば大丈夫だという誤解に基づくものです。
建物というのはその建築の際、地震などの自然からの力に対して安全なよう、強度やそのバランスを考え壁を配置しているものです。軸組工法は特にそのことを無視することはできません。
震災後、壁が必要だという認識は多少広まったようですが、まだまだ完全ではありません。それは建設業者にも言えることで、増改築の際、壁を取り払うときには強度について耐震性を落とさないよう念を押しておくべきでしょう。基本的に増改築というものは新築以上に難しいものです。
誰のための法律?
−−建設業法−−
世にあるそれぞれの業界には、許認可等の条件を定めた法律があります。また、消費者を守るためにさまざまな要件もそこで決められています。(それでも数多くの問題はありますが。)
建設業にも当然建設業法というものがあります。この章ではその建設業法について書いてみたいと思います。
まずは建設業許可の要、不要についてです。
建設業法
(建設業の許可)
| 第3条 |
建設業を営もうとする者は、次に掲げる区分により、この章で定めるところにより、2以上の都道府県の区域内に営業所(本店又は支店若しくは政令で定めるこれに準ずるものをいう。以下同じ。)を設けて営業をしようとする場合にあつては国土交通大臣の、一の都道府県の区域内にのみ営業所を設けて営業をしようとする場合にあつては当該営業所の所在地を管轄する都道府県知事の許可を受けなければならない。ただし、政令で定める軽微な建設工事のみを請け負うことを営業とする者は、この限りでない。(以下略)
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建設業法施行令
(法第3条第1項ただし書の軽微な建設工事)
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第1条の2
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法第3条第1項ただし書の政令で定める軽微な建設工事は、工事一件の請負代金の額が建築一式工事にあつては1500万円に満たない工事又は延べ面積が150平方メートルに満たない木造住宅工事、建築一式工事以外の建設工事にあつては500万円に満たない工事とする。(以下略)
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建設業法第3条を要約すると、軽微な工事を請負う場合には、建設業許可は不要だということです。では、その軽微な工事とはどのようなものか、建設業法施行令第1条の2に書かれています。箇条書きにすると、
- 建築一式工事にあつては
- 1500万円に満たない工事
- 延べ面積が150平方メートルに満たない木造住宅工事
- 建築一式工事以外の建設工事にあつては
このホームページで公開しております木造2階建て住宅は請負金額は1600万弱(建築本体のみ)ですが、床面積は122平方メートルですので、建設業の許可がなくても請負、建築工事をすることが出来ます。また、鉄骨造の店舗の例では請負金額が1200万円弱ですので、これもまた建設業許可が不要となります。この文章をお読みの皆さんが、建築の知識、経験がなくとも税務署に建設業の開業届を出せば、今すぐにでも建設会社を開業できそうですね。
では次に建設業許可はどのような人が取れるのかを見てみましょう。
建設業法
一般建設業の許可
(許可の基準)
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第7条
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国土交通大臣又は都道府県知事は、許可を受けようとする者が次に掲げる基準に適合していると認めるときでなければ、許可をしてはならない。
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一
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法人である場合においてはその役員(業務を執行する社員、取締役又はこれらに準ずる者をいう。以下同じ。)のうち常勤であるものの一人が、個人である場合においてはその者又はその支配人のうち一人が次のいずれかに該当する者であること。
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イ
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許可を受けようとする建設業に関し5年以上経営業務の管理責任者としての経験を有する者
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ロ
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国土交通大臣がイに掲げる者と同等以上の能力を有するものと認定した者
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二
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その営業所ごとに、次のいずれかに該当する者で専任のものを置く者であること。
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イ
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許可を受けようとする建設業に係る建設工事に関し学校教育法(昭和22年法律第26号)による高等学校(旧中等学校令(昭和18年勅令第36号)による実業学校を含む。)若しくは中等教育学校を卒業した後5年以上又は同法による大学(旧大学令(大正7年勅令第388号)による大学を含む。以下同じ。)若しくは高等専門学校(旧専門学校令(明治36年勅令第61号)による専門学校を含む。以下同じ。)を卒業した後3年以上実務の経験を有する者で在学中に国土交通省令で定める学科を修めたもの
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ロ
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許可を受けようとする建設業に係る建設工事に関し10年以上実務の経験を有する者
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ハ
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国土交通大臣がイ又はロに掲げる者と同等以上の知識及び技術又は技能を有するものと認定した者
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(以下略)
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上記の条文によると、前半では役員、事業主の要件を後半では本店、支店に置かなければならない専任の技術者についての要件が書かれています。
簡単にまとめると
- 役員、事業主の要件
- 専任の技術者についての要件
- 建築の正規の教育を受けて卒業後、工業高校卒で5年、大学、高専卒で3年以上の実務経験
- 建築工事に関する10年以上の実務経験
- 有資格者(建築士、施工管理技士など)
先ほどの許可の不要な建設工事を行う建設会社で役員、事業主として5年の経験があれば役員、事業主の要件を満たせます。そして同じ建設会社で現場監督として10年の経験があれば専任の技術者の要件も満たせます。極端な話、建築基準法を知っているか知らないか、建築の知識の有無は問われないということです。
医師や弁護士はまず徹底的に知識を詰め込み、国家試験に合格し、さらに実務経験を積んで初めて医師、弁護士を名乗り開業できるわけです。宅建(不動産)業に関しては業務に従事する者の5人に1人以上の割合で専任の取引主任者(有資格者)が必要なのです。それでもそれぞれの業界にはさまざまな問題があるわけです。それらに比べて建設業の許可制度はなぜこのように甘いのでしょうか。家族の命と財産のほとんどが懸かっているにも関らず。
ここからの文章は私の考えであり事実だと断定はできませんが、そうかけ離れた考えでもないと思います。そのつもりでお読みください。
そもそも法律ができる以前よりその対象となる業界は存在するものです。建設業法ができる頃、すでに数十万人の就業人口を抱えた業界は規制によっては死活問題になりえたわけです。現在でも選挙といえば族議員と支援団体の関係が話題になるはずです。建設業関連団体などはその中でも有名な部類ではないでしょうか。つまり、政治家は業界団体の選挙における支持を取り付けるために厳しい規制法案を作りたくはなかったのではないでしょうか。たとえ消費者が不利益をこうむってもです。軽微な工事を除いたり経験によって許可を与えるのであれば、既存の建設業者にはほとんど影響がありませんから。
しかし、このままではあまりに非近代的です。そこで建築に関る「設計−施工−監理」の三つを分割し、さらに「行政」を加えて建築物の質を維持向上させようとしました。建築士に設計と監理をさせ、行政は確認、検査をする。そのことで経験のみの建設業者が施工する建築物でも建築基準法を守れるようにしようとしたわけです。なんとも理想的で近代的なシステムが出来上がったわけです。骨抜きの建設業法を前にして建設省が知恵を絞った結果かもしれません。参考「家造り相関図、想定されている関係」
ところで、消費者に「家を建てるときは誰に頼むか」というアンケートを実施すると、1.大工、2.工務店、となるそうです。先ほどのシステムの設計を飛ばしているわけです。また、監理なるものの存在も知らず、行政手続も施工者任せとなれば理想的なシステムも機能しません。消費者の行動と想定されたシステムがあまりにもかけ離れ、そのギャップの中で手抜きや欠陥が発生する余地(建築基準を知らないのだから)ができるのです。参考「家造り相関図、手抜き工事が起りやすい場合」
では、どうすれば消費者は安心して建築工事をすることができるのでしょうか。一つは先ほどの想定されている制度のとおり、設計、監理を建築士に依頼する。行政の確認、検査を必ずうける。もう一つは建設業法を改正し、許可の条件、許可の要否を厳しくし、消費者が安心して大工工務店に仕事の依頼ができるようその資質の向上を図り、消費者の行動とシステムのギャップを無くすべきだと考えます。
私は今が法改正のチャンスだと考えます。今までの説明のように、ほとんど規制のない業界ですので、新規開業が相次いでいます。その結果、技術や知識はないが低価格で業績をあげるような建設会社が出現し、あおりを受けて老舗といわれるような建設会社が倒産していっています。ですから消費者保護のための法改正(規制強化)をしても、質を下げた低価格競争を強いられた既存の業界団体は反対しないだろうと思うわけです。
許可を取ろうとする真面目な会社にとってはやたら書類が多く煩雑な手続で、消費者にはメリットがなく、ほとんどの木造住宅の建設にはその許可すら不要。いったい何のための、誰のための法律なのでしょう?
余談ですが、建設業許可の際の実務経験は「自己証明」でもよいのです。なかには捏造されているものもあるようです。このような制度であるため暴力団関係者が経営していたり、ほとんど施工能力がない建設会社が存在するのです。そして民間、公共工事を受注しては中間マージンを取り、仕事そのものは下請けに丸投げというようなことが起りうるわけです。
平成13年、不況の真っ只中ではありますが、倒産件数の最も多いのが建設業です。また新規開業件数の多いのも建設業です。TVの経済問題を扱った番組でよく話題になることですが、その理由はこの文章をお読みになられた方なら、なんとなく理解していただけるのではないでしょうか。
設計、見積無料 −−ただより高いものはない−−
おせっかいな法律 −−建築基準法−−
市場を無視した法律 −−都市計画法−−
欠陥住宅を無くすために −−本来あるべき姿−−
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