カテゴリー別アーカイブ: 読書日記

読書日記-コンビニ人間

 芥川賞受賞作は今まで何作か読みましたけど、読後後悔することが多い。いや、読んでいる最中からしてつらい。そもそも興味のあるテーマでないのだから仕方ない部分もあるけれど、「今日は何ページ」「今日は半分まで」とかノルマを課して読んできました。​『火花』も読みましたけど、同じ感じでした。

 だからもう読まないつもりだったのです。

 ところが、この作品の評判がいい。面白いよと勧められたので、では選評だけでもと文芸春秋を買ってみたところ、ほうほう、なかなか良さそう。というわけで意志が弱いのか読むことになりました。

コンビニ人間
著者:村田 沙耶香

 主人公は三十代半ばの独身女性。性格や考え方のせいで、コンビニでのアルバイトしかできない。そんな状態を家族や友人から心配されながらも今日もコンビニで元気に働いてます。というようなお話。ん…別にそれでもいいんじゃないかと思うんだけどね。

 で、その性格、子供の頃の逸話をみると、これはちょっとずれているけどなかなかの軍師だよ、と思ってしまったのは私も性格に難があるからか?問題解決の方法の突飛さや大人になってからの人との接し方はまるでアンドロイドのような感じ。おまけにそこが笑いを誘う。と感じてしまったら主人公の存在がやけに普通になってしまった。これってSFやアニメの登場人物によく居るじゃないか。不器用で鈍感。一瞬スタートレックのデータ少佐を思い浮かべた。違いは年を食っているのと容姿もイマイチな部分。だからこそよりリアルに感じたのだろう。アンドロイドの側から人間を見れば、みんな多かれ少なかれ何らかの障害を抱えているように見える。だから、仕事の失敗も、人間関係の失敗にもあまり怒らず、仕方が無いんだと寛容にならんとな。

 今回、一気読みできた。もうそれだけで私にしては高評価なんですが、あえて難を言えば、というかはっきりとしないんですが、コンビニ店員へ戻るというのはありがちなエンディングです。でもそれも良いのです。ただなんなのだろうこの虚無感。何かが足りないようなスッキリしない終盤が残念かな。

読書日記-家相の科学

今回は、こちらからお貸しした本の紹介です。家相の話ならこれを読まずして語れません。と思うのですが…

家相の科学
著者:清家 清
カッパ・ホームス

サブタイトルの「建築学が発見したその真理」の通り、家相には科学的な根拠づけができますよ、という本です。もちろんこれは著者の考えなわけで、どう受け止めるかは読者の自由です。ですが私はこれが真理ではないかと思っています。

占いと科学には共通点があるように思います。それは物事の中にパターンを見出し、逆にそのパターンが現れた時、同じ物事が起こると考える。血液型、生年月日、姓名や天気、天文現象、数々の物理現象、地震や火山噴火もです。大昔には占いと科学は同じ扱いだったのでしょうが、現代ではこの二つは別の世界です。まぁどうも怪しいものもありますが。

今回二十数年ぶりにこの本を読み返したのですが、まず驚いたのが「こんなに文字が細いのか、薄いのか」という本文とは関係ないところ。昔、読んだ時には感じもしなかったことです。本が劣化しているのか、最初からこうなのか?

さて、この本の初版は確か昭和44年(手元にないので確認できません)です。家相は数百年も前のものなので本の古さは関係ありません。では、この本に書かれた現代の話は古いのかというと、下水に関する記述以外は全く古さを感じませんでした。ということは、50年程度では住宅に求められることや取り巻く環境というのはあまり変わらないということなのかもしれません。

読書日記-知っておきたい幸せになれる家相学

いよいよ渡された本の中の本命登場。タイトルのとおり家相に関する本です。新築工事の打ち合わせで、100%話題に出るのが家相。ただ、どの程度家相を気にするかは人により千差万別です。私は家相には意味がある。ゆえに代替が利く。ですからあまり気にすることはなく、それより大事なことが他にある。と考えています。

一般の方は、設計と家相は別物とお考えのようです。しかし、建築設計をやっているものなら間違いなく家相の事はわかって設計しています。ただしそれは、家相としてではなく、理屈としてです。ですから設計図面を見て”家相的に良くない”ところがあった場合、良くないとわかった上で、それでも別のメリットが上回るからそうしているということです。

知っておきたい幸せになれる家相学
著者:井上 象英
神宮館

所謂占い本。困ったなぁ。真剣に感想を書いたものか….

トイレはどの方位、玄関は、キッチンはと、個々の吉凶方位は書かれているけれど、全体として見た場合、どう評価するのか書かれていない。人は凶相を気にするので、「トイレはこの位置では…」「玄関はこの位置では…」となってしまい、結果吉相を壊してしまう。つまり全体を見ないことに拍車をかけてしまっている。素人向けに書く本なのだからそういった配慮が無いのは不安をあおるだけでよろしくない。と思うのだけれど。

階段や吹抜けは”欠け”になるので”凶”となる。本書の間取り例では階段の無いものが多い。実際の住宅はほとんど2階建てなのだから、これはないなぁ。

同じく2階建てを意識していないものだから立体的に検討していない。つまり、一階では凶であったものが、二階の存在でどう変化するのかの考えが無い。

中途半端に家相の知識がつくと、とても困るので、完璧な家相本を書いてもらいたいものです。
あ、それが知りたければお金を払って直接アドバイスしてもらわないと、ということなのかな。

読書日記-涼温な家

実は、渡された本は4冊、雑誌は3冊ありまして、全部読むのに時間がかかります。あまり長時間お借りするのもと考え、全て古本で購入しました。購入手段はネットなんですが、改めてすごい時代になったものだなと思います。本によっては1円で買えました。

涼温な家
著者:松井 修三
創英社/三省堂書店

タイトルにRマークが点いていますので登録商標なのでしょう。サブタイトルは「エアコンの風の嫌いな人へ」となっています。基本的にすべての書籍に共通するのは、これらは全てコマーシャルだということです。販売促進です。だからと言って悪いという意味ではありません。意識して読まないといけないということです。

本書は、エアコンと換気を組み合わせ、全館空調を実現するためにどのような事柄を考えなければならないのか、著者の経験と試行をたどりながら説明してくれます。

著者の考えには特にどうということはありません。結構かと思います。

問題はやはり初期投資額です。比べる住宅にもよりますが、数十万円~百数十万円ですが予算が必要です。たった、されど、です。

読書日記-和なるもの、家なるもの

この本も、読んでみてほしいと渡されたものです。

著者は東京世田谷にある伊佐ホームズの社長です。本書の構成は、著者の半生記に近いもので、四分の一が詩と写真、四分の一が携わった家に関する考え方を記したもの、といった感じです。発行は2010年。

和なるもの、家なるもの
著者:伊佐 裕
講談社

いい写真が多く、写真集としても楽しめる。現在の住宅に和を取り入れる実例集。ただし写真はそれ自体が芸術なので、実際こうは見えない。また、決定的に生活感に欠けるのでそういうところを意識して見るべきです。

著者の考えには特にどうということはありません。結構かと思います。

いい家を建ててますね。でも、お高いんでしょ。
と、言うか、高いわな。間違いなく。
東京という地域、出版に携わる人々もこちらとは所得水準が違うのです。
地方の庶民には害毒です。気をつけましょう。

読書日記-大工が教えるほんとうの家づくり

2年半ぶりの読書日記です。私も復活するとは思っていなかったのですが、読んでみてほしいと渡されまして…。このブログは、その方へ感想文として書いたものです。ですから本を読んでいない人にはわかりにくいと思います。

本の概要を説明しますと、著者は1956年生まれの大工さん。自然素材にこだわりがあり、大工としての腕にも自信がある。現代の日本の家を取り巻く業界全体(お客、大工、建築家、住宅メーカー、法律)に言いたいことが山ほどある、ようです。この本は2007年に出版されています。8年たった現在、著者はどのように考えているのか気になります。

大工が教えるほんとうの家づくり
著者:阿保 昭則
文藝春秋

 一言でいって独善的。人として、センスとして、そして予算面でも、全て著者に合わないと駄目です。ですから合う合わないが激しい。あるいはお客さんの側が相当耐えています。それはユーザーの感想、「相当に頑固」、「自分たちの希望が思うように受け入れてもらえなかった」という部分からも窺い知れます。そして受注に至らなかったケースに対しては一方的にお客さんの問題として片付けています。商売ですから合う合わないはあります。店で商品を見て買わずに帰る客を普通は悪しざまに批判しません。ところが著者はそういったお客さんを見下しています。

 本書で紹介されている事例は大抵価値観の問題で片付きます。著者と建築主が主観的に良いと思った家の紹介ならそれだけでよいのです。他の家を貶す必要はない。コンクリート打ちっぱなしの家を建てた建築家と建築主、その価値観を認めるべきです。その他にも家には経済性や敷地の状態、建築主の趣味嗜好など評価の項目は沢山あり、それらの何を重要視するのかは人によって違います。アルミサッシは安っぽい。雨樋は美しくない。それらはすべて価値観の問題です。主観の問題です。にもかかわらず、俺の感覚こそが正しいのだという態度、これが独善的でなくてなんでしょう。

 自分の腕を自慢し、夢、希望を語り、いい家について語るのはいい。それだけでいいのに、どうして廻りを見下げるのか。立派ないい家を建てている自分を理解しない他者、お客さんであり、建築家であり、法律や制度でありを攻撃する必要はどこにあるのか。私には自信の無さの裏返しにしか見えません。よく吠える子犬、ハリネズミのように丸まって外部に刃を向けているようにしか見えずとても残念です。攻撃は最大の防御、自分の欠点を隠すための攻撃ということです。ではその欠点とは何かというと、言っていることが曖昧で感覚の話が多く、科学的、技術的な根拠に乏しいことにあります。

 ですからこの本を読むときは、攻撃の仕方に根拠があるのか、単なる感覚かを把握、評価できないと著者の価値観に引きずられてしまいます。

 では攻撃されたものをいくつか見ていきましょう。

 まず耐震性について。「腕のいい大工がいい材木を使って・・・大地震にさえもちゃんと耐え抜きましたが、下手な大工や・・・」と語っています。これなどは地震に耐えた家をそう評価したに過ぎません。地震に耐えたから腕の良い大工が建てたと。全く意味不明な評価です。例えば雨漏りを放置して土台が腐った家が地震で倒れました。これは大工の腕の良し悪しが関係するでしょうか。耐震性は計算でわかります。著者が建てている貫を使った工法(通常は筋かいを使ったものを軸組み工法と呼び、貫を使った工法を伝統工法と呼びます。)の場合、現在では構造計算が必要です。しかし本書ではそのような記述が無くどのような根拠に基づいて耐震性があると言っているのか不明です。

 次にベニヤ合板について。著者は材木は木目を見てヤセなどを考えて使うと言いながらベニヤ合板の使い方を工夫しないのはなぜなのか。ベニヤ合板を使ったツーバイフォー工法はアメリカ、カナダではほとんど全ての住宅で採用されているのにその言及がないのはなぜなのか。それは、言うと都合が悪くベニヤ合板を批判できなくなるからです。材料としての杉や檜などの木材は、今も昔も変わりませんが、ベニヤ合板は出始めた頃のものと今のものとでは耐久性の面でもシックハウス対策の面でも進化を遂げています。また、正しい使い方も知られてきました。それになにより、一般的に住宅の耐用年数は日本よりアメリカなどの方が長いのです。ベニヤ合板を多用する国のほうが住宅が長持ちする現実に目をそむけています。また、杉や檜も使い方を誤ると当然腐ります。釘は錆びます。ベニヤ合板は腐るって批判は何を言いたいのかさっぱりわかりません。適材適所。使い方です。

 ベニヤ合板と共に新建材を批判し無垢材の良さを語っています。無垢材の利点は著者の言う通りですが、欠点には触れていません。隙間が空く、反る、汚れる、液体をこぼせばシミになり、スプーンを落とせば凹みます。それを事前に説明してもクレームになっている現実を無視しています。漆喰の壁も同じです。吸放湿性などの利点は紹介しても、ひび割れなどの欠点は言いません。必ずひび割れます。築一年でひび割れると、欠陥住宅では?となります。事前に説明してもです。そして、そのことに建築主は納得していても、他人は別です。事前の説明を聞いていない見学者(親族、友人など)はひび割れを目撃してどう思うでしょう。想像は簡単でしょう。欠陥、手抜きという評価につながります。そのことを住宅メーカーは何度となく経験しているのです。建築主がいくら良いといっても、自社の悪評につながるのなら使いたくないのです。著者の建てた住宅を見学に来た人の多くも同じで、だから見学に来たみんなが著者に依頼するわけではないのです。そして見学者の多くは見た目で判断し、評価を下し、採用せず、その理由を口にしません。

 次に外断熱批判、24時間換気批判ですが、著者は断熱、換気について全く理解していません。著者はスタイロフォームを使って「隙間なくしっかり埋め込む」と言っています。これは家の密閉性が上がるということです。しかし続けて、外断熱の家は密閉性が高くなったため24時間換気が必要になっていると批判しています。密閉性が高いのだから著者の建てた家も換気が必要となります。さらに、密閉性を高めたら土壁の吸放湿性が機能しなくなります。機能しない材料を使い続ける意味がわかりません。人間は呼吸をします。人体から炭酸ガスも水分も出ます。煮炊きもすれば洗濯もします。だからこそ換気が必要なのです。なにもシックハウス対策のために換気が必要なわけではありません。断熱をするということは、イコール密閉性が上がる、ゆえに換気が必要となります。

 建築家の設計については設計料を確保するため平気で安い材料を使うと批判しています。しかしご自身は予算が無いと屋根にガルバリウムを使ってコストを下げると言っていますが何が違うのでしょう。著者の建てた家の費用の内訳をみると大工手間が異常に高い。これでは大工の手間賃を確保するのに安いガルバリウムを使っているといわれても文句は言えない。でも、建築家も大工も働いた以上報酬を得るのは当然なのです。建築家が報酬を受け取るのは無駄で、大工が報酬を受け取るのは当然なんて考え方はおかしいでしょう。「ハウスメーカーの家は・・・本社の取り分が3割以上も上乗せされて・・・」と言っていますが、ハウスメーカーで家を建てる人はブランドを買っているのです。本社取り分はブランドの維持経費です。そういう価値観もあるのです。逆に著者の建てる家は材料費が高い、大工手間が高い、そういった批判を少なからず受けていることでしょう。他社を責めると必ず自社に跳ね返ってくる。お金の話が嫌いというのは実はこういう矛盾があるからなのです。

 ざっと感想を書いてみましたが、いかがだったでしょうか。何もすべて否定したいわけではありません。デザインについての考え方は共感しますし、自然素材の良さも理解できます。お客さんのために一生懸命な姿も素晴らしい。なら、それだけ語ればよかったのに不必要な発言が多すぎぼろを出しています。実にもったいない。それと感覚の話が多すぎます。耐震性も断熱性も理屈です。住宅性能表示を含め法律、制度も理屈です。消費者へ説明責任が求められる時代、理屈がわからないと説明のしようがありません。ですから著者の考えは時代の趨勢に合いません。

 最後に、著者の建てている家はすべて坪単価にすると高いです。普通の仕様で90万円/坪、材料を変えコストを落としたもので70万円/坪、さらに落として60万円/坪。車の場合100万円、500万円、数千万円のものまでありますが、どれを買うかは個人の自由、趣味の問題となります。ところが家の場合、先ほど自然素材のところでふれたように、他人が何と思うかが影響してきます。坪90万円の家を建てたと言うとアホ呼ばわりされます。「50万円で建つわ、ぼったくられてるんやで」と言われます。面と向かって、あるいは陰で、親族、友人、近所の人まで。それら外野の勝手で無責任な評価に耐えないといけません。おまけにその家は壁はひび割れ、床は変色してくるとなると…。他人の評価を気にせず、はねのける強さを持たないといけません。

読書日記−中国化する日本

またまた読め!とのお達しに従いまして読んでみました。正月つぶれたよ。。。
 
中国化する日本−日中「文明の衝突」一千年史 
著者:與那覇潤
文藝春秋刊
 
本書のタイトルをわかり易く言い換えると、『グローバル化する日本』です。
 
内容は、1章から2章にかけては中国化と再江戸時代化の定義。
 
宋時代(960年 – 1279年)の中国では出自にかかわらず科挙に合格すれば高級官僚になれた。つまり実力本位で出世できるという競争社会であった。また身分制が無く好きな職に就け、商売をするにも規制らしいものは無かった。これは現代のグローバル化を世界で最初に実現したもので、以来中国は現代まで一貫してこのような自由な社会であった。これをグローバル化ならぬ中国化と呼ぶ。
 
一方、日本は何度か中国化勢力が出ては消えを繰り返し最終的には江戸時代で身分が固定化され、規制に縛られた封建社会になってしまった。居住地が制限され、職が制限され、家庭においては長男以外は邪魔者として扱われる。家と職を固定化して世襲化し、ここに福祉の役割を果たさせる。これを再江戸時代化と呼ぶ。
 
3章から4章は江戸という時代がどんなにひどい時代だったかを書き、5章から7章は明治維新から終戦まで、8章は戦後昭和期、9章は平成期、10章と”おわりに”は現在からこれからについて。それぞれの時代の日本の中国化と再江戸時代化の負の側面が書かれています。
 
感想としては、残念な本、です。
 
著者は事あるごとに、「専門家のあいだではもう常識」「新たな定説になりつつある」といって高校レベルの歴史の教科書には間違いが多く、これが大学レベルの日本史なのだというのだけれど、参考文献がどれも新しかったり、研究者が少ない分野であったりでにわかには信じがたい。学者の一説ではないのかな。更に問題なのは、他人の本を私の色眼鏡で見て都合の良いところをコピペして書きました。文句は種本の著者へどうぞ、というようなその姿勢です。
 
それはそうとして、では内容はどうかというと、宋を理想的に描きすぎ。江戸を悲惨に描きすぎ。どちらにしても中国化、再江戸時代化に都合の悪いことは書かない。そもそも比較することが苦手なようで、「正史」と「演義(小説やドラマ)」の違いや「全体」と「要素」、今風に言えば「マクロ」と「ミクロ」の違いが分かってないのではないかと思われる記述が多い。論理が一貫しない、居もしない仮想敵を仕立て上げ、それを叩くことで自説を証明するという子供だましのような記述も多い。
 
例えば、最初にも書いた科挙。誰でも受験できたかもしれないが、本が買えて勉強時間が確保できる富裕層が有利なのは当たり前。身分制が無いというが、士大夫という支配層があることや地主・小作農にも階層があり、事実上身分が固定化されている。刑罰に関しても身分による差別があった。農民は江戸時代の百姓と同じく搾取の対象になっている。唐以前の古い時代より男女差別が激しい。兵士は顔に刺青をされるのでひと目で分かる。なんてことは書かない。これだけで努力して勝ち組に成れるような自由な社会ではないことがわかる。
 
城の話をする場合、ヨーロッパの城は個人所有だが日本の城は公共建築で、戦の際には避難民を収容するようになっていると。つまり日本の城は公共事業とセーフティーネットのような福祉政策のために存在するのだから非常に社会主義的だといいたい。すると宋時代の城の話を書けないから書かない。ちなみに宋時代に築かれた首都開封城は約7km四方の街を城壁で丸ごと保護しています。これが公共事業でないわけはないし、住民保護の福祉政策でないわけがない。その後、明の頃には万里の長城が築かれるが、これも書かない。これで自己責任だけを問われるだけの社会でもないことが分かってしまう。
 
戦国時代なら織田信長、幕末なら西郷隆盛や坂本龍馬が人気なのが理解できないらしい。これは小説やドラマの影響なんだから歴史とは無関係。そのくせ用心棒、荒野の用心棒、椿三十郎、風の谷のナウシカやらガンダムなんかに歴史的なものを読み取るのだそうだ。
 
100年後の学者が、先日行われた総選挙での共産党候補の演説と聴衆の拍手喝采を見て、平成24年頃の日本人は国家の共産化を望んでいた。なんて結論を出したら笑い話でしょう。一つの出来事で国全体を評価するのは慎重にすべきです。
 
民権派演説会で弁士が「封建政治に戻す」と演説したら聴衆が拍手喝采。これを「江戸時代に戻したい」のだと著者は解釈するが、どうして識字率の低い、リテラシーの無い明治の民衆が、「封建政治」を正しく理解したと考えるのか。これに対し現代の有権者が拍手喝采した小泉のいう「構造改革」を「何が改革なのかも分かっていない」と見るのは都合は良いだろうけど矛盾している。明治の民衆も当然「何が封建政治なのかも分かっていない」とすべきです。
 
こうしてみると中国化も再江戸時代化も対立するほど違うものでもない。せいぜい日中韓に朱子学を垂らしてみたら三者三様の化学反応が出た、ぐらいですよ。著者の試みは空振りだと思います。
 
さらに付け加えると、「内地移住者」と「外国人」は違うものだし、「納付負担急増による孫捨て都市の復活」か、「制度崩壊と給付停止による姥捨て伝説の現実化」か、その両方、なんていうのもずれてるし、「日本の植民地経営が赤字か黒字かが植民地責任の有無を問う最大の論点」なんていうのもずれまくり。
 
ただ、「動機さえ良ければ結果は考えない」という陽明学の影響と「合理的戦略よりも情動的倫理感情に突き動かされた群衆行動が放つ熱気と危うさ」という日本人の気質を中心に中国と対比して書けば面白い本になったのになぁと思います。
 

読書日記−未完のファシズム

約一年ぶりの読書日記です。
 
今回も知人より、読め!とのお達しで読み始めたのですが、読んでいる最中に司馬遼太郎賞受賞ということで慌てて読み進めました。
 
未完のファシズム−「持たざる国」日本の運命
著者:片山杜秀
新潮社刊
 
太平洋戦争に対する見方として大まかに次の三つが有る様に思えます。
 
『誰が考えても無謀でしかない戦争を何故やってしまったのか』そんな疑問を持ちつつ、程度の差は有っても、軍人というのは根っからの戦争好きで、それゆえ彼らが引き起こしたのではないかと思っている。戦争体験の有る無しにかかわらず、多くの人がこう考えているのではないかな。とりあえず印象批評派と名付ける。
 
そして、『結果は悲惨だったが、当時のエリートたちはその時々でベストを尽くしたはず。決して誤りではなく、正しい行動の積み重ねの末だと理解する』というエリート擁護派。
『専門家だって間違いは犯す。それに世界情勢は相対的なもので、思うようにならない事が多い』という達観派、いや、あきらめ派というべきか。この二つが少数。
 
こうして並べると、どの派も他人事のように考えているふうに見えるけど、歴史とはそういうものか。
 
さて、この三つの中で問題なのは、印象批評派の中でも軍に対するアレルギーを持つ人々。戦前、戦中の科学や論理を無視した精神主義的スローガンや行動ばかりが印象に残り、軍といえばそれらを思い出し、蔑んで批判する。だから、軍さえなければ平和なのだと思ってしまう。でも、そんなに単純なものなど世の中には無いと冷静に考えればわかるはずなんだけど…。
 
本書は、歴史について冷静に考えさせてくれます。多くの資料に当たり、当時のエリート軍人たちが何を考え、どう行動したかを(資源や工業力を)『持たざる国』と『持てる国』、『顕教』と『密教』(見える部分と秘匿する部分)という視点から、その思考の過程を再現してくれます。
 
それらを一つ一つ読み進めると、なぜ補給を軽視したのか。なぜ突撃や玉砕するまで戦うのか。なぜ過度な精神主義に走るのか。なぜ軍国主義的になったのか。なぜ軍は独走したのか。現代人から見ると理解しがたい多くの『なぜ』に答えてくれます。それともう一つ、あの当時の日本は、ファシズムだったのか。これにも答えてくれます。みんな真剣に国の行く末を憂えていたのです。
 
ということで、私の分類によればこの本はエリート擁護派です。もちろん批判的ではありますが。
 
読み進めれば進むほど著者の力量に驚くばかり。膨大な資料から実に上手く組み立てられたストーリーが出来上がります。ただ、あまりに上手く組み立てすぎている気もします。ですから、とても良い本なのですが、歴史本というより小説なのかなぁと。そういうちょっと不安な部分もあるのですが、それでも歴史について深く考えさせてくれます。
 
ただし、最後に書かれている”歴史の教訓”には頭が痛くなりました。どうして頭のいい人というのは、正しい行動の果てに良い結果が有るなどと考えるのだろう。正しい数字、情報が有り、慎重に検討すれば100%読み切れると考えるのだろう。物の裏づけ、数字の裏打ちがあっても専門家の意見は割れますよ。ここまで散々擁護してきたエリートたちもそうしてたじゃないですか。努力は必要ですよ。でも石橋を叩くのも限度があります。人事を尽くすことは出来るけどと、あきらめ派の私なんかは思うのです。
 

ユリゴコロ

ダイさん絶賛!
と、いうわけで読んでみました。
 
ユリゴコロ
著者:沼田まほかる
 
深い闇だけが残る。
読み終わったあと、どうしても心暖まらないし、ハッピーエンドとも思えないし、深い愛の物語とも
思えない。ちゃんと完結しているのに、終わり切ってない気持ちにさせる。確かに不思議な物語。
 
ディティールにこだわる人は読まないほうがいい。楽しめないから。
細かいこと抜きに読める人は、ある種の爽快感が得られるかも。おかしいけど(^^;
 
この物語より、サイドストーリーの方が気になる。
あの薄気味悪い生みの母が、どうやってあんなに頼れる中年女性(暗殺者ではあるが)になれたのか、変貌を遂げる物語の方が興味を引くなぁ。いや、ほんと、特殊部隊隊員か必殺仕事人だ。
 
ここまで書いたものを読み返すと、いつも以上に取りとめが無い。読後の感想が定まらない。読んだ人の心が揺れ続ける。これこそがユリゴコロだったりして。

漢文の素養

何故買ったのかよく覚えてないのですが、まぁいいやと読んでみました。
 
漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?
著者:加藤徹
 
漢文の本という先入観で読み始めたのに、歴史、文化、宗教などの話が随所に出てくる。だから、こ
こ最近読んだ5、6冊の本と偶然にしても関連しているなと強く思わされたので、ちょっと驚いた。
ばらばらなテーマで読んでるつもりだったのに。
 
まぁ歴史、文化、宗教どれを扱っても”日中交流二千年史”みたいな本になってしまうのだから仕方
がないのかな。漢字を題材にしても、文化を題材にしても、あるいは宗教を題材にしても、行きつく
ところはここになるってことか。
 
さて、それはそうと、この本、なかなか面白い。書き方は単調といえるぐらい起伏が無いのに、内容
で読ませる。「卑弥呼は漢字が書けたのか」や「聖徳太子はどのように漢文を読んだか」「思想戦と
しての元禄赤穂事件」などなど興味をひかれる見出しが並ぶ。
 
例えも身近で面白い。漢字にどうして幾つも読みが有るのかを説明するのに日本文化の特徴としての
「棲み分け」をあげる。権力者は天皇家、摂関家、将軍家と棲み分ける。元号も西暦と棲み分ける。
ゴム(オレンダ語)、ガム(英語)、グミ(ドイツ語)と言い分けたりするのと漢字音の併存は似て
いると。
 
あと、興味をひかれたのは”新漢語”についてかな。明治期の日本人は外来語を漢語化して中国へ輸
出した。例えば、経済、自由、権利…。しかし、昭和・平成になって新漢語を作れなくなり、中国か
ら輸入している。例えば、電脳(パソコン)。
 
でもな、先ほどのゴムを漢字で書くと護謨。ガムやグミのパッケージに護謨と書かれて上手そうに見
えるだろうか。電脳も日本では意味が違っているような…。それに簡体字のことに触れないのはどう
してだろ。
 
もうひとつ気になったのは、著者の考え。本文より引用すると『現代の日本の政治家は、少数の「勝
ち組」のパワーで日本社会が浮上できると勘違いしているように、筆者には思える。』という部分。
やはり話題の行きつくところはそこなんですね。
 
最近どの本を読んでも問題意識が共有されているように思う。これは社会の閉塞感のためなのか、は
たまた…。